角川認定YouTubeはMAD動画の文化に福音をもたらすか
『自由はいま死にました。万来の拍手のなかで』というパドメの台詞を思い出した。(スターウォーズ EP3)
何かが音をたてて崩れ、確かに終わる瞬間を見たような気がする。
しかし、はてブコメントなどを見ると好意的にとらえる向きも少なくない。
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角川グループ、2月上旬にもYouTube内で動画配信を開始
著作権者が権利を主張するのはもっともなこと。権利侵害コンテンツを「どうにかしよう」というアクションも必然と言える。その点に異論を唱えるつもりはない。
ただ、この認定制に賛同するユーザがいるというのは不思議な感じがしている。ヘブンアーティスト制度に似た違和感。
もしこういった認定制のような流れが他のコンテンツホルダーにも波及するなら、わざわざ権利者の許可を請うことなく我々一般人が好きに編集して楽しむ事が出来る。全てのアニメソフト、映画、テレビのニュースまでもが、サンプリング素材集やJam Packのように認識される日が来るかもしれない。それならそれで面白い。
しかし、警察に追い立てられるところまでが大道芸ではないだろうか?演目を最後までやれるだろうかという緊張感、切迫感、スリルだけが持つ魅力。芸人にも観衆にもその意識があり、芸とはまた違った部分での共有感覚になる。ストックホルム症候群的かもしれないし、共犯としての仲間意識かもしれない。
アヴァンギャルドというのは常にそういう部分がなければ成立しないのでは?
個人的にはMAD動画をアヴァンギャルドでもあるととらえていた。故に与えられた自由のなかでルール違反を犯す事なく制作されるなら、単にそれはパロディ的なコラージュだと思える。アヴァンギャルドそれ自体は「作品そのもの」よりも「活動」としてとらえるべきものだ。MAD動画も当然ながらその流れの上にあるものと僕は考えている。それはルールを破ってこそ初めて得られる芸術体験だと思う。その原則がなくなるのはアヴァンギャルドの根底を覆す事件だ。
破るべきルールがなくなる。反体制活動においてこれは深刻な問題なのだ。
成人した途端に飲酒喫煙の意味が変わってしまうように、悪い子がやる悪いことはそれが「悪いこと」だからこそ面白がってやるのだ。この「悪いこと」を全て合法だとしてしまえば、たちまち興味が失せる。MAD動画にもそういう一面があるなら、角川×YouTubeの取り組みは狡猾なものだ。MADを許可することでクリエイターのやる気を削げるなら万々歳ではないか。そもそもの目的がMADの広告媒体化ではなく、著作権侵害の取り締まりなのだから。
しかしもしもMAD動画の文化自体がアンダーグラウンドな反体制活動ではないとしたら、今回のようなメジャーレーベルによる歩み寄りはむしろ大歓迎なのだろうな。いま現在、どういった気概で取り組む作家が多いのかで、この取り組みの結果は分かれると思う。結果次第では、我々はMADの文化を失うかもしれないし、どういう結果に終わっても角川にはメリットのある話ではなかろうか。
投稿者 ジェット☆ダイスケ : 2008年1月26日 04:13
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